サッティヤーグラハ
マハトマ・ガンジー著「真の独立への道」を読みました。
ガンジーは、非暴力、不服従主義を唱え、実践したことで知られています。
インドの国旗に描かれているのが、インド独立の象徴である糸車だというのは、広告代理店のような発想だなと思ったのがきっかけです。って、きっかけになってないような気もしますし、広告の起源そのものこそ政治だとも言われていますね。。。

インドの植民地支配に関して、ガンジーの考え方は非常に主体的です。インド自体に原因を求めます。
インドをイギリス人が取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力でいられたのではなく、私たちがイギリス人たちをいさせたのです。
その論理をまとめると、こうです。
イギリス人たちは商売をするためにやってきた。支配するつもりはなかった。だが、私たちがカンパニーの商品を欲し、カンパニーの商品を売った。 そして、私たちの王がたがいに争ったとき、カンパニーの援助を求めた。私たちが援助をすると、商売を広げお金を稼ぐ目的のカンパニーは商館を増やし、商館 を守るために軍隊を置いた。その軍隊を利用したのは、私たちインド人である。
植民地だからと言って、すべてイギリスが悪い!どうにかしろ!と主張するのは、主体性がなく、自治を放棄しているようにも思えます。
自治能力というのは、どのような状態であっても、自分自身の中の原因を探し出し、自ら状況を改善する能力かもしれません。
「相手が悪い、だから、相手はこうするべきだ」とだけ主張するのは自らの中に原因を探しもせず、自ら改善しようともしていない態度のようです。それは、自治を放棄した、ある意味で従属者の発想にも思われます。
ガンジーはこのような甘えをインドの中に見いだしたのでしょう。
過激派に対しては、求めるだけの甘えを見いだし、穏健派に対しては、お願いを続けるだけの甘えを見いだしたのでしょう。
劣等感からの発想、従属した発想だからこそ、支配者に対して何かをするよう求めるのです。
真の独立というのは、「誰のせいにもしない」というシンプルなことかもしれません。
環境のせいにもしない。他人や他国のせいにもしない。いま目の前にある状況を受け入れて理解し、「それではいま自分にできることは何か?」を常に問いかけ、実践していくこと。それが独立し、自立するということ。
それは要するに、インドという国家の独立の問題が、ひとりひとり、個人個人の問題と等しいということです。言い換えれば、個人個人の問題が、インドの問題と等しいということです。
自治はすべての人が自分のために獲得しなければなりません。
う〜ん、最終的にライフハック、自己啓発になっちゃいました。
気に入った言葉。
私たちが理性で理解できることは、試してみなければなりません。
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こんばんわ。
今日はありがとです >ω</
理性つながりで1つ。
「Jリーグは理性も知性もあると信じている」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200805/2008052700914&rel=j&g=spo
こっちは知性を皮肉で使ってます。
Comoさん、ビーチフットボール?探したけど分かりませんでした!!
教えてください!
我那覇選手の問題はもうとっくに片付いたのかと思ってたんですけど、報道で知りましたが、続いていたんですね。ゴールもあげたみたいでよかったですが、大変さは半端なかったでしょうね。
問題を早期発見しながら、冤罪は決して起こらないようにする。それは難しいことでしょうが、必ず成し遂げなければならないことですね。
明日は我が身ですし。
http://sports.hiho.jp/ashiya2008/index.html
こんなサイトです^-^
あともう1つ作ろうと思ってるのがあるんやけど
ちょっと苦戦中。。。
この世界も奥が深いなぁ。。