アーカイブ : 2009年 7月

日中自転車

citycicle

ぼくのお気に入りの自転車は何の変哲もないかごつきのシティサイクルです。
シティサイクルとママチャリの違いは3つくらいだと思っているのが正しければの話ですが。

・ハンドルが横にまっすぐなのか、手前に向かって曲がってくるかの違い(一番でかい差)
・前輪と後輪をつなぐフレーム部分が直線的か、足をあまりあげなくていいように湾曲させてあるかの違い
・どろ除けが上半分だけについてるのか、全面を覆っているか

要はシティサイクルは、マウンテンバイクの形をしたママチャリだと思っているのですが正しいのでしょうか。

ぼくのシティサイクルは銀塗装で安っぽく、センスがいいとは言いがたいシールがデフォルトで貼られたナイスガイです。盗難の心配がないことと、3段変速ギアについては特筆すべきでしょう。

本日は朝からその銀塗装のシティサイクルにまたがって、自転車散歩をしてきました。途中、ファストフードとコーヒー休憩を入れて、締めて3時間。

最寄ではない駅までチャリを漕ぎ、そこを半径とする円を描くように3駅を経由して家に戻ってきました。太陽を浴びて、少量の汗をかいて、家に帰ってから、掃除をしました。

きれいになった部屋で窓をあけていると、背中をさするように風が通り抜けて行きます。そろそろ晩ご飯の時間です。

今日はクーラーをつけていません。
気持ちのいい一日でした。

water

わたしは水が好きだ。

水というのは感情を大きく揺さぶる。
ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」では、水は人生に喩えられていた。
クヌルプの中では、水と同時に火も重要な要素になっていたと記憶しているけれど、わたしにとっては水のほうがやはり身近で、やはり影響力が強い。

どうしようにも何もないとき(そんなときは恐らくあり得ないので、どうしようにも何もないと思えてしまいそこから先に考えを推し進められないときと言い換えよう)には屢々神田川の橋に散歩に出かけたものだった。

何を見るというわけでもなく、ただ、水が流れている音を聞いていたんだと思う。
端からは桜の梢が見え、小さな橋には、多くはないひとやバイクの往来があったと記憶している。その笑い声やバイクのヘッドライトは視覚的にふんばって思い返せばぼんやりと浮かんでくる程度の記憶でしかない。意識せずとも思い返されるのは、水の流れる音だ。

暑い日に、水道の蛇口をひねって、手のひらでうけるのが好きだ。手首に浮かぶ太い血管を流れる血液が、指先にまで隙間なく広がって行く毛細血管にくまなく流れて行く様を想像する。毛細血管の細い一本一本が蛇口から注がれる水の温度に冷まされていく様子を思い浮かべる。冷たくなった血液が静脈を通して体に還っていって、火照った身体が冷やされるイメージ。

蛇口から流れる水が冷たければ冷たいほど新鮮に思えるのと同じように、血液が冷やされると、血液が新しく生まれ変わって新たに体にもどっていくように感じる。ほ乳類が生きているとは温かさで表現できそうなものだけれど、冷たいほど新鮮という感覚はそういえば少し不思議だ。(腐敗というのも生命活動の結果だからと考えればすぐに納得できそうではあるけれど、感覚的に不思議だ)

風呂場やトイレなど水回りの掃除をするのが好きだ。
少しほったらかしただけで発生する水垢。それをブラシで軽くこする。力をいれればすぐにとれるかもしれないものを、薬品を使えばすぐにとれるかもしれないものを、無数の往復運動でこすり続けることで掃除するのが好きだ。

理由は分からないけれど、好きだ。

水が好きだ。
流れている水が好きなのだ。

明日、荒川にでも行こうか。

一点を見据えることに立ち返る

golfhall

意識するしないに関わらず、以前のわたしは一点を見ていたのだということに、いまさらながら気づいた。

それは俯いて一点を見ていた姿勢を、顔を上げて風景を見つめる姿勢に変わったということではない。良い悪いでいえば悪い姿勢に変わっている。ゴルフに例えて言うならば、グリーンがいくつもあるようなコース。どこに入れてもいいですよと言われ、とりあえず、どこのカップにも遠からず近からずのフェアウェイキープを狙って第一打を打とうとしている姿勢に近い。

ひとつのカップを狙うことが重要だ。距離を読み、風を読み、今日の自分の体調と相談して、クラブを選択するということは、一点を見つめていることでもあり、全体を見つめているということでもある。

全体を見て何かにとりかかるというのは重要だが、何かを決めずに全体を見たところで、私たちはクラブを選択することすらできないだろう。

一点を見つめることに立ち返らなければならない。

それはゴールと呼んでも、過程と呼んでもどちらでも構わない。風が吹く度に、風が吹いていると感じることと、この風ならばこう打とうと感じることでは大きな差がある。

日常を感じるためにも、いまのわたしには、一点を思い返すという行程が必要なのだと、ふと気づきました。

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