water

わたしは水が好きだ。

水というのは感情を大きく揺さぶる。
ヘルマン・ヘッセの「クヌルプ」では、水は人生に喩えられていた。
クヌルプの中では、水と同時に火も重要な要素になっていたと記憶しているけれど、わたしにとっては水のほうがやはり身近で、やはり影響力が強い。

どうしようにも何もないとき(そんなときは恐らくあり得ないので、どうしようにも何もないと思えてしまいそこから先に考えを推し進められないときと言い換えよう)には屢々神田川の橋に散歩に出かけたものだった。

何を見るというわけでもなく、ただ、水が流れている音を聞いていたんだと思う。
端からは桜の梢が見え、小さな橋には、多くはないひとやバイクの往来があったと記憶している。その笑い声やバイクのヘッドライトは視覚的にふんばって思い返せばぼんやりと浮かんでくる程度の記憶でしかない。意識せずとも思い返されるのは、水の流れる音だ。

暑い日に、水道の蛇口をひねって、手のひらでうけるのが好きだ。手首に浮かぶ太い血管を流れる血液が、指先にまで隙間なく広がって行く毛細血管にくまなく流れて行く様を想像する。毛細血管の細い一本一本が蛇口から注がれる水の温度に冷まされていく様子を思い浮かべる。冷たくなった血液が静脈を通して体に還っていって、火照った身体が冷やされるイメージ。

蛇口から流れる水が冷たければ冷たいほど新鮮に思えるのと同じように、血液が冷やされると、血液が新しく生まれ変わって新たに体にもどっていくように感じる。ほ乳類が生きているとは温かさで表現できそうなものだけれど、冷たいほど新鮮という感覚はそういえば少し不思議だ。(腐敗というのも生命活動の結果だからと考えればすぐに納得できそうではあるけれど、感覚的に不思議だ)

風呂場やトイレなど水回りの掃除をするのが好きだ。
少しほったらかしただけで発生する水垢。それをブラシで軽くこする。力をいれればすぐにとれるかもしれないものを、薬品を使えばすぐにとれるかもしれないものを、無数の往復運動でこすり続けることで掃除するのが好きだ。

理由は分からないけれど、好きだ。

水が好きだ。
流れている水が好きなのだ。

明日、荒川にでも行こうか。

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一点を見据えることに立ち返る

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